北海道男児置き去りと尾木ママの「しつけ」論に心がザワつく私。
こんばんは、働く母ちゃんです。
北海道の7歳の男の子の行方不明の件、ニュースを見て心が痛みます。
今日で4日目、雨も降る中男の子はどうしているのか・・・無事を祈るばかりです。
ニュースを見ていて、改めて「躾ってなんだろう」と考えています。
あまり上手くまとまらないと思いますが、感じたことを書いておきたいと思います。
改めて考えてみる。 躾とはなんなのか。
「置いていくよ」と言ってしまう親の気持ち。
「もう知らない。お母さん、先行っちゃうよ。」「置いて行っちゃうよ。」
多くの親御さんが言ったことがある、または言いたくなったことがあるセリフだと思います。
私も、あまりよくないとは思いつつ、何度か言ってしまったことがあります。
(でも、実際に置き去りにするのは・・・ですが。)
自分がいなければ生きていけない幼い子供に対し、大人と子供という力関係を利用し、子どもの不安感を煽って言うことを聞かせようという行為が良くないことは、ほとんどの親がわかっていることだと思います。
そして、状況が許すなら、ワガママを言う子どものペースに合わせる(=親が折れる)方が楽なことだってあります。
でも、そうはできない時。どうしても言うことを聞いてもらわないと困るような場面。
まずは理由を話して、言い方を変えて繰り返し話し、なんとか説得しようとするでしょう。それでも効かない場合は、気をそらしてみたり、褒めてみたり、代替案を出してみたり。
あの手、この手、あの手、この手、あの手、この手・・・いろいろ尽くして、それでもどうにもならなく、追い詰められた時に出てしまうセリフが「置いてくよ」だと思うんです。
その場面だけを切り取って第3者が見れば「ろくでもない親」ということになるんでしょうが、多くの場合、その前段の親の苦労がきっとあるはずです。
もっと言えば、その時だけではなく、毎日毎日子どもの「イヤイヤ」と向き合って、心をすり減らしているということだって考えられます。
今回の事件を見ていて、イヤイヤ期の息子とそれに苦労している現状、ついつい自分のことと重ね合わせてしまいます。
「置いていくよ」という言葉が他人事ではないのです。
実際に、「置き去り」にされたことがある私。子どもの側の気持ち。
翻って子どもの立場で考えた時。
今回の報道を見ていて、私も幼い頃に「置き去り」にされたことを思い出しました。
確か私が小学校の低学年の頃だったと思います。
家族で旅行をしている時、なにか気に入らないことがあって(何が不満だったかはよく覚えていませんが)、私がその場を動こうとしなかったのだと記憶しています。
場所もよく覚えていませんが、観光名所のお土産街のようなところだったと思います。
私のワガママが過ぎたのでしょう、実際に両親は私の目の前からいなくなり、意地を張って動こうとしない私はその場で一人きりになりました。
でもまぁ、どれくらい時間が経ったか不明ですが、しばらくした後、両親が迎えに来てはくれたのですが。
その時に感じたことを今でも鮮明に覚えています。
「私は両親に見捨てられたんだ。この知らない場所で、私はこれから一人で生きていかなければいけないんだ。」という絶望感。
親の立場からすると、いろいろな苦労や背景がある上で発した言葉やしつけでも、小さな子供にはこれほどの恐怖・絶望感を与える出来事なんですよね。
改めて、息子にはこんな思い絶対にさせたくない、そう思います。
「良い躾」と「悪い躾」
今回の事件に関して、こんなYahooの記事がありました。
「良い躾とは、なぜいけないのか、どうして挨拶が大切なのか…意味や理由を分からせながら教えていくことです…機械的、訓練的な方法だと思春期に簡単に崩壊しますよ」と説いた。
まぁ、正論ですよね。
でも多くの親が悩み、そして必要としているのは、「正攻法で攻めても上手くいかない場合の対処法や心の持ちよう」なんですよね。
正論を吐いても誰も救われない。
私自身、親との関係があまり上手くいかなかったこともあって、自分の子育てにはいつも不安を感じいるけれど、それでも息子と向き合いたくて、本を読んで勉強したり、日々悩みながら自分で考えたりしながら子育てしています。
あぁ・・・思った通り、なんだか考えがまとまりませんが。
全ての親は、子どもの幸せを願っています。「悪い躾」をあえてしようとは思っていません。
だから、尾木ママ否定派ではないけれど、行動の一部、一側面だけを切り取って「悪い躾」と断言しないで欲しい。
すみません、かなり自己弁護というか、個人的な感情入りまくってます。
それでも、しつこいようですが、「置き去り」は許せません。
男の子の無事を重ねて願います。
まとまらない内容ですが、最後までお読みくださりありがとうございます。